戦後編も読みました。
①昭和二十年から昭和二十六年 占領の時代
降伏文書に調印して米国(連合国)による日本占領の時代です。
この時期にはGHQが非軍事化・民主化方針にのとって日本政府に次々と指定をだし
日本はそれらを受け入れ、大きく国柄を変えました。
・象徴天皇制
・議会制民主主義
・非軍事化、軍事力の放棄
・財閥解体
・農地改革
・言論/表現/結社の自由
・労働三法の実行
政府からの配給券だけでは、全く生きていけないので、闇市が出来ます。
闇市で売っている食料はとても高価でした。
これを救ってくれたのは、所謂、反社会組織である”やくざの親分”さん達でした。
家から何でもいいから持ってくれば、高価な値段で買い取ってくれました。
そのお金で闇市で食料を買い、生き延びることが出来たのです。
戦後間もない頃にやくざの親分さんが行ってくれた事がなければ、どれだけの人々が飢えで亡くなって
いたか判りません。
大変な不況の時代でもありました。当時の国鉄(今のJR)総裁が大規模なリストラを断行すると
決断し、今でも未解決となっている”下山事件”が起こります。
下山事件(しもやまじけん)は、日本が連合国軍の占領下にあった1949年(昭和24年)7月5日朝、
国鉄総裁・下山定則が出勤途中に失踪、翌7月6日未明に轢死体で発見された事件です。
事件発生直後から自殺説・他殺説が入り乱れます。
帝銀事件という不可解な事件も起こりました。
帝銀事件(ていぎんじけん)とは、1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区長崎の帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店(1950年に統合閉鎖され、現存しない)に現れた男が、行員らを騙して12名を毒殺し、現金と小切手を奪った銀行強盗殺人事件です。未だに真相は判っていません。
どちらの事件も松本清張さんが小説にしています。
日本の黒い霧
小説帝銀事件
朝鮮戦争
米ソ対立を背景に1948年8月15日、南部に大韓民国が建国され、翌9月9日に残余の北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国されました。
武力統一支配(赤化統一)を目指す金日成率いる北朝鮮は1950年6月、ソ連のスターリンの同意と支援を受けて、事実上の国境であった38度線を越えて侵略戦争を起こしました。
この戦争はまだ停戦(Ceasefire)状況で終結していません。
日本の経済にとっては、この戦争で息を吹き返します。
特需景気の始まりで、アメリカ軍からの大量注文を受けます。
また、アメリカは、アジアにおける民主主義国家としての日本の重要性を再認識します。
これ以降、明らかにGHQによる日本政策は、ユルユルになったと思います。
まさに、神風が吹いたような・・・・。。
②昭和二十七年から昭和三十五年 政治闘争の時代
平和と民主主義を守る為という同じスローガンで右翼と左翼が全く違う考えを持って
日常的に衝突し政治混乱を引き起こしました。
どういう日本になるか四つの選択肢がありました。
1.戦前のように天皇陛下を長とし、陸海軍を整備した国(三島由紀夫さんが目指した国の姿。)
実際にこれを鳩山さんと岸さんがやろうとして安保騒動が起きました。
2.左翼が主張する社会主義国です。決してソ連の傘下に入るということではなく、米国と距離を置こう
というものです。
3.軽武装・通商貿易国家、経済第一つまり吉田さんがやろうとしたことで、実際にこれを目指すことになります。
4.一切のごたごたに関与しない国、東洋スイスのような国です。
60年安保を経て、3.の国を目指すことになります。
当時は、大学生の存在感が強く、学生運動も盛んでした。
安田講堂を学生が占拠し、火炎瓶を投げて警察隊に抵抗した年は、確か、東大の入試が中止されました。
③昭和三十六年から昭和四十年 経済第一の時代
池田さんの国民所得倍増計画が非常に魅力的で本当に日本人はよく働きました。
東海道新幹線が開通し、東京オリンピックも開催され、『もう戦後ではない。』とも言われました。
私には記憶がないのですが、マラソンでアベベ選手が走り、甲州街道まで見物に行ったそうです。
④昭和四十一年から昭和四十七年 日本経済の成長
私は、小学校生でしたが、三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)が一般家庭にも普及していきました。
経済成長に伴い、工場から川に流れだす廃棄物が問題となり、公害の被害も酷く、川は汚れ、
水銀を垂れ流しする企業もあり、その近辺に住む漁民が、釣った魚を食べて、水俣病も大きな問題
を引き起こしました。
工場の煙突からでてくる物質も空気を汚し、スモッグ注意報なる警報も毎日出ていました。
天気予報でスモッグ注意報をTVやラジオで伝えていたことは良く覚えています。
スモッグが酷い日は、小学校で窓を開けないように先生から言われていました。
昭和四十七年に、アメリカから沖縄返還で、佐藤内閣が終わり、田中内閣となります。
田中首相が行った政治では、
・日本列島改造論
・日中国交回復
・ロッキード事件
が印象に残っています。
⑤昭和四十八年から昭和五十七年 日常生活での価値観の見直しの時代
昭和四十八年にベトナム戦争が終結しました。
日本は二度の石油ショックに見舞われます。
一度目は昭和四十八年十月 イスラエルとアラブの第四次中東戦争
二回目は、昭和五十四年二月、イランでホメイニ氏という人が頑張って、当時アメリカが支持していた
パーレビ国王を追い出し、イラン革命が起こります。と同時に強引に石油価格を引き上げます。
この時の状況を松本清張さんが『イラン革命』という小説で詳細に書いています。
当時、私は、十九歳で、この本を読みましたが、もうすっかり忘れました。
トイレットペーパーが無くなるということで、スーパーではトイレットペーパーが姿を消します。
最近お米が一時スーパーからなくなりましたが、あんな風景です。
昭和四十九年にセブンイレブンの第一号店が開店します。
また、半導体が登場し、通信技術の幕開けです。
コピー機、コンピュータ、ファクシミリ、ワープロ等が登場します。
私が大学に入学した頃は、デジタルリサーチが開発した8ビット用OS CP/M-80が主流で、その後、16ビット用OS CP/M-86が
登場しました。
同じ頃、マイクロソフトOS MS-DOSも登場し、最終的にIBMは、MS-DOSを採用します。
この時代は、内閣が比較的短期間で次々と変わります。
⑥昭和五十八年から昭和六十四年 官僚システムの時代
国の経済的運営を個人の自由ではなく全て官僚が決める方式で経済を廻していきます。
この当時は大変優秀な官僚が多く働いていました。
熱意があり、強制的にではなく、話し合いによる誘導で政策運営を行いました。
このシステムは、高度成長時代には特に有効に機能しました。
日本が最高に輝いた時代でもありました。
当時の保有財産を多く持っている企業には多くの日本企業が上位をほぼ占有していました。
今では全く考えられませんが。。。

